
下街道高山宿(したかいどうたかやましゅく)は、美濃の高山レポートで美濃源氏の発祥の地土岐市の高山城を書きました、今回はその城下です。

高山城高山宿史跡保存会という会がありそこの資料によりますと、土岐高山城下街道高山宿は岐阜県土岐市に広がる豊かな歴史と文化が残る歴史地区だそうです。

下街道高山宿は、恵那槙ヶ根追分から名古屋城下を結ぶ中山道からの脇街道で栄えた宿場町ありす。
中山道とは違い峠が少ないため利便性が良く、善光寺参り・御岳参り・伊勢神宮参りの人々が往来し、信州・美濃・尾張から出荷される荷物が牛馬によって輸送されたそうです。

高山宿は下街道十五里二日の行程の中間地点であり馬継場、宿場町として栄えました。
明治5年の高山村絵図に五人組十九組約百戸、宿屋が十数軒ほど記載されていますので、使用人を含めて500人ほどの集落を形成していたものと思われます。

中山道の各宿場は下街道の通行量が増えるのを懸念して寛永元年(1624)下街道通行停止の訴えを尾張藩奉行に申し出たのを始め、慶安四年(1651)元禄二年(1689)寛政八年(1796)などに再三同様の訴えを起こし、その都度下街道の通行規制が行われました。
しかし、天領であった高山村の庄屋深萱惣助は江戸幕府笠松代官所に訴え高山宿の利権を守り、この結果通行量は減らず人馬の往来はより盛んになったそうです。

明治になると高山村に郡役所が置かれ、下街道は今日のJR中央線・国道19号線・中央道のルートの基となりました。
高山区民会館前の屯所(とんしょ)と言うところがあり、毎月第3土曜日・日曜日に戦国茶屋を開催しているそうです。(コロナ禍の関係で開催については確認を)
戦国茶屋では美味しいお菓子とお抹茶を用意していて、リーズナブルな価格で頂けます。
また戦国茶屋では手作りの陶器、和装小物などを展示販売いをしているそうです。

土岐高山城戦国武将隊と言うものがあり、地元土岐市の地域活性化、高山城高山宿にまつわる歴史を後世に伝えていくことを目的に結成されたボランティア隊です。
市内各地のイベント行事に出陣し、戦国バサラ踊りの演舞や、勝ち鬨などをもって盛り上げています。
JR中央線土岐市駅下車、南東徒歩約15分です。

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