
テレビドラマで信長協奏曲(のぶながコンツェルト)と言うものが放送されていました、原作は漫画でアニメとなりました。
その中で信長が「恒ちゃん」と呼んでたのが、池田恒興(いけだ つねおき)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名、清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。

池田恒興と父池田元助の墓がこの寺龍徳寺にあります、それに加え国枝氏歴代の墓が池田町の指定文化財となっています。
龍徳寺(りゅうとくじ)は、岐阜県池田町本郷にある臨済宗妙心寺派の寺院で、この地方の領主であった美濃池田氏や稲葉氏、国枝氏の菩提寺であります、山号は雲門山。

弘仁年間に伝教大師最澄が天台宗の寺院として創建し、寺号を龍昇山雲門寺とした。
その後、寺勢が衰えましたが、正平6年(1351年)に池田教依が美濃国池田郡雲門荘を得た際に再興し、その法名に因み雲門山龍徳寺と寺号を改めました。
応永年間に本郷城を居城とした国枝為助が悟渓宗頓に帰依して臨済宗妙心寺派の寺として中興した。

その後池田氏や国枝氏、稲葉氏が菩提寺として保護し、その一族の墓が寺内に設けられた。
関ヶ原の戦いに際してこれらの諸将が寺を保護しようとするが、西軍の兵火に焼かれ寺は焼失し、江戸時代に再建されこの地域を領した戸田氏の保護を受けました。

池田恒興・元助父子の墓は境内には無く、龍徳寺から国道417号線を渡って北西に100メートル程行ったところに建っています。

疎開学童惜別の歌碑と言うものが建ってます、池田へ疎開していた名古屋市六反国民学校の学童の感謝の心が刻まれています。

入口が国道417号線からですが、分かりにくいです、小さな看板を見落とさないように。

養老鉄道北池野駅北側のあります。

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