
羽島市の境川が長良川に合流する手前に小熊川の渡しが有ります、そしてここは美濃路街道です。
美濃路は、東海道の宮宿(名古屋市熱田区)から中山道の垂井宿までの14里余りを結ぶ、2つの街道の脇街道です、徳川家康が関ケ原の戦いに勝利した後凱旋した吉例街道として知られ、交通量の多い街道でした。

東海道の宮宿と桑名宿の間に七里の渡しがあり、江戸時代は水難事故も起こりやすい難所とされていた、東西を移動するのに遠回りであっても海路を避けられる美濃路が好まれることがありました。

歴史とロマンのある美濃路は羽島市の北部を東西に通過しており、坂井の道標と辻地蔵・間の宿・一里塚などが残っています、特に羽島市北部(小熊町・足近町)の境界を流れる境川堤防の桜並木は綺麗です。

そこに小熊川の渡しが有りました、現在は境川橋と大江川橋によって簡単に渡れ川幅もそんなに広く感じません、当時は36mから360mと流量の激しい川であったそうです。

小熊川(おぐまがわ)の渡し、美濃路が脇往還として定められた頃、境川は小熊川と呼ばれ、この渡河には定渡船2艘に船頭7人があたり、大名や貴人の行列が通行するときは、船28艘を並べた長さ22間の船橋が架けられた。

小熊川と並んで流れている大江川は、現在の道路橋より50m程下流に土橋が架かり、ここから茶屋新田の集落を経て墨俣川(長良川)を渡船で越え、墨俣宿へと至っていた。
小熊川は、その昔尾張川と呼ばれ、美濃と尾張の国境の大河であった。

天正14年(1586)6月に発生した大洪水で、流れが現在の木曽川筋へ移動すると、この木曽川が美濃と尾張の国境となり羽島市の全域が尾張国から美濃国へ編入された。
また、尾張川はこの頃より土地の名にちなんで小熊川と呼ばれるようになりました。


「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
知っている川がありました。