
大須観音、名古屋市中区大須にある北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)が有名です。
そのふるさとの真福寺(しんふくじ)は、羽島市桑原町大須にある真言宗の寺院です。

昔、名鉄竹鼻線で大須と言う駅が有り、乗って行くと名古屋の大須に行くと思ってました。

寛元の頃(1240年代)土地の人たちによって尾張国中島郡長岡庄大須(羽島市桑原大須)中島観音堂が建立されたのが始まりです。
この観音堂が出来てからおよそ100年後、対岸の真光寺に入った能信上人がこの観音堂をお守りするようになり、次第に堂や僧房が造営され北野山真福寺と号する立派な真言宗の寺院が創立された、宝生院と改名された。

南北朝時代には全盛時代を築きました、能信と言う僧は広く各地を遊歴してさらに知識を深めるとともに珍しい書籍などを書写した、これが大須文庫の基となっている。
その後戦国時代になり、寺も衰微して寺領も減少したが織田信長公の保護により再興した。
しかし、その後は紛乱と木曽長良の水害のため寺は荒廃した。

その後、慶長17年(1612)に徳川家康が真福寺の由緒ある寺で、貴重な蔵経(大須文庫等)があると知り家康自ら僧天海と共に真福寺に来て蔵経を見る、そして真福寺を名古屋城下へ移転させました、これが、現在名古屋市にある大須観音であります。
大須文庫は「大洲文庫」とも書き、昔から醍醐寺(京都府)、根来寺(和歌山県)の経蔵と共に三経蔵と称し、或は仁和寺、根来寺のそれと合わせて本朝三文庫とも言われ、大須文庫はその内容においても我国無比の文庫となっています。

はたせるかな霊験、日に日に新に善男善女の参詣きびすを接し、名古屋市の一大中心として繁栄し大須観音と俗称され、真言宗智山派別格本山として、今日に至っています。

現在のこの地の寺は、村民により昔をしのんで建立された寺で真福寺と称した、洪水で幾度か場所が変わり現在に至っている、阿弥陀如来像などが安置されています。

羽島市コミュニティバス(南部線)大須停留所下車(名鉄竹鼻線羽島市役所前駅より20分)

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