
垂井の木として多くの人に親しまれ、また県の天然記念物にも指定されている垂井の大ケヤキは泉のほとりの傾斜地にありました。
幹周り8.2 m、樹高20 m、樹齢約800年と県下でも稀なケヤキの巨樹でありました。

この垂井の泉は、大ケヤキの根本から湧出し、垂井の地名の起こりとされています。
続日本記、740年(天平12年)12月条に見える、美濃行幸中の聖武天皇が立ち寄った曳常泉もこの場所と考えており古くからの由緒があります。

近隣の住民たちに親しまれる泉であっただけでなく、歌枕としても知られ、はやく藤原隆経は昔見したる井の水はかはらねどうつれる影ぞ年をへにける(詞花集)と詠んでいます。
のちには泉のほとりに、葱白く洗いあげたる寒さかな、という芭蕉の句が残され句碑が建てられました。

このように垂井の泉は、古くから多くの人々に天下の名泉として親しまれ、岐阜県名水50選にも選ばれています。

大ケヤキの樹勢の衰えがみられるようになったため、1980年代後半より保存修理が実施されました。
しかし、2014年より岐阜県文化財審議会による保存整備の指導が始まりましたが、2015年9月11日午前2時頃垂井の大ケヤキは、根の一部を残した状態で垂井の泉に覆い被さるようにして倒れました。

原因は直前に通過した台風18号の影響で地盤が緩んだためだとされてます。
現在、倒れた大ケヤキは根元部分の一部を防腐等の加工をした上で、タルイピアセンターで展示しています。
タルイピアセンターは、垂井町にある図書館、歴史民俗資料館、歴史文献センターなどで構成された文化施設です。

清水の上の台地には専精寺がありますが、関ヶ原合戦に西軍に参加した平塚為広の垂井城があったと伝わっています。
JR東海道本線垂井駅北口より西へ500メートル徒歩約7分。

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