
長良川の鵜飼、関市の小瀬鵜飼の近くに弥勒寺官衙(みろくじかんが)遺跡群が有ります、静かな場所ですが何か凄い場所みたいです。
それは律令制下の古代武儀郡衙(郡の役所)の遺構です、1994年(平成2年)に発掘調査が開始され、以後調査が行われ2007年(平成19年)に国の史跡に指定されました。

文献に表されている郡衙(ぐんが)の施設(郡庁院・正倉院・館・厨家など)が、全て把握可能な全国的に類例のない貴重な遺跡です、隣接する古代寺院弥勒寺が建立された7世紀後半から郡衙が存在した奈良時代初頭から平安時代中期、さらに中世の遺構が重なる複合遺跡でもあるそうです。

1959年(昭和34年)弥勒寺跡は、美濃の伝統的な古代豪族ムゲツ氏の氏寺として、国史跡の指定を受けました。
その後公園整備事業に伴う発掘調査により、弥勒寺東遺跡が武義郡衙跡であることが明らかになり、弥勒寺東遺跡は弥勒寺官衙遺跡として追加指定を受け、同時に史跡の名称が国指定史跡弥勒寺官衙遺跡群に変更となりました。

ムゲツ氏とは、軍事的・祭祀的な役割を担ってヤマト王権と深く結びついた美濃の伝統的な地方豪族です、歴史資料には牟義都・牟下津などさまざまな表記が見られるそうです。
672年(天武1年)に起きた壬申(じんしん)の乱での身毛君広(むげつきみひろ=大海人皇子の舎人)の活躍が、武義郡を治める郡領としての地位を確実にしました。

弥勒寺は出土瓦の年代から7世紀後半の創建と推定され、その後廃寺となりました。

近世になり「円空仏」の作者として知られる円空が再興しました、1689年(元禄2年)に園城寺(三井寺)の末寺となったことが記録にあるそうです、現在の寺内には円空仏が数並べてあります。
円空は1695年(元禄8年)にこの地で没しました、弥勒寺官衙遺跡群の弥勒寺史跡公園一帯には、関市円空館・円空入定塚・円空の墓が有ります。

円空入定塚(えんくうにゅうじょうづか)は、円空が入定したと伝えられている塚です、日本各地を遊行し円空仏と呼ばれる独特の作風の仏像を多数残し最後の地です。
弥勒寺の墓碑銘によれば、円空は64歳の時1695年(元禄8年)7月13日、己の死期を悟り弟子に後事を任せ、弥勒寺の南に位置するこの長良川河畔に穴を掘り、多くの里人に見守られ念仏を唱えながら自ら土に埋もれ入定を果たしたと言われています。

東海環状自動車道、関広見インターから車で約5分、長良川鉄道関駅より車で約10分の所にあります、小瀬鵜飼の長良川の北側。

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