
住所:不破郡関ケ原町今須3479
ジャンル:名所
今須宿(いますしゅく)は、中山道美濃16宿のうち、最西端の宿場。
トンネルの向こうにでレポートした妙應寺の門前町として栄えました、これより西は近江国です。

関ケ原宿より今須峠を越えて来ると一里塚があります、駐車場の所に丘の様になっていて木が植えてあります(復元)
1843年頃は幕府領(大垣藩預り領)となっており、人口は1,784人家数464軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒あったそうです。

町の中に入っていくと、直ぐに中山道今須宿の碑や説明板があります。
その反対側が妙應寺となっており、徳川家康は関ケ原の戦いに勝利した翌日石田三成の居城近江佐和山城を攻める際、この今須で休息を取ったと言われてます。

中山道今須宿本陣伊藤新左衛門宅に立ち寄り、その時腰掛けた庭の石を天下腰掛石として代々伊藤家で守護してきたそうです。
現在本陣は無くなり、その腰掛石は妙應寺で展示しています。

西に向かうと古い町並みになってました、そこに問屋場の説明板がありました、江戸時代、人や馬の継ぎ立てなどを行った問屋が一時7軒もあって全国的にも珍しいことだそうです。
当時のまま残ってるのはこの山崎家のみで、永楽通宝の軒丸瓦や、広い庭と吹き抜けなどから当時の繁栄が物語ってます。

しばらく行くと常夜灯の灯篭があります、街道が賑わってた頃、京都の問屋河地屋は大名の荷物を運ぶ時今須付近で紛失して途方に暮れていました。

金毘羅様に願をかけ一心にお祈りをしました、幸いに荷物は出て来てお礼に常夜灯を建立しました。

更に西に行くと、車返しの坂や寝物語の碑などの遺構が残ってます 、ここを越えると近江の国(滋賀県)で、中山道美濃路の終点です。


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