
中山道関ケ原宿は、中山道と交わる北国脇往還と伊勢街道の分岐点にあり、美濃十六宿の中で賑わった宿場でありました。
現在は関ケ原宿の中心に国道が通り、当時の面影は感じ取れないところが多いです。

中山道58番目の宿場で美濃国不破郡関ケ原村(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)にあります。
1843年当時、人口1389人、家数269軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒有ったそうです。

場所は垂井にありますが、垂井の一里塚を越えて少し行くと関ケ原に入ります。
この一里塚は中山道の一里塚で国の史跡に指定されている2ヶ所のうちの1つです、南側だけほぼ完全に残っています、もう1ヶ所は東京の志村一里塚です。

国道を横断して少し行くと野上の七つ井戸があり、そこを過ぎると松並木に入ります、樹齢300年余りの松の老木が街道の両脇に並んでいます。
中山道に松並木が残っている場所は珍しく、期中な場所で大名行列もこの松並木に沿って進んだと言われています。

松並木の駐車場の所に地蔵があり、この地蔵は歯痛地蔵尊とも呼ばれており、六部地蔵歯痛なおりて礼参り、と詠まれているように歯痛を治すことでも知られているそうです。

国道が中山道で街の中心部に入り、関ケ原駅を越えると脇本陣跡があります。
当時の面影を残す古式ゆかしい門が建っていて、大名や役人が利用した本陣の予備施設で、本陣に差し支えがあった時に利用されたところです。
またここは、至道無難禅師(しどうぶなんぜんじ)生誕地となっています、江戸時代前期の臨済宗妙心寺派の高僧です。

脇本陣の横に本陣があったそうですが面影はありません、少し行き北側に入ると八幡神社があり、そこに本陣の庭の一角であったと言われているスダジイがあります。

少し行くと西首塚があり、ここを過ぎると国道を横断することはありますが、国道から離れ静かな街道となります。
JR東海道線関ケ原駅より脇本陣まで、西へ徒歩約10分程度で行けます。

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