
住所:岐阜市柳津町下佐波西1-15 もえぎの里2階
ジャンル:博物館
ここは、平成12年4月に整備された複合施設もえぎの里です、併設された旧柳津町歴史民俗資料館は、平成18年1月1日から岐阜市歴史博物館分室柳津歴史民俗資料室として親しまれてきましたが、平成28年10月8日原三溪記念室に生まれ変わりました。

原三溪(富太郎)(1868~1939)は岐阜市柳津町出身で、世界遺産に登録された富岡製糸場を経営し、日本の近代化に大きな足跡を残した実業家です。
原三溪記念室には、ふるさと岐阜とのかかわり・実業家としての業績・生涯をかけての社会貢献等がパネル展示として表されています。

美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜市柳津町佐波)出身、青木久衛の長男(青木富太郎)として生まれました、幼少の頃から絵・漢学・詩文を学び、小学校卒業後東京専門学校(早稲田大学)に入学し、政治・法律を学ぶ傍ら、跡見女学校での教師を務めました。

原富太郎となったのは、教え子であった原善三郎(横浜の実業家)の孫娘、屋寿(やす)と結婚し、原家の婿養子として跡取りとなったからです。
教師をやめて原商店に入り義祖父の亡き後は原合名会社として、神奈川県横浜市を本拠地とし絹の貿易により富を築き、また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られました。

原三溪記念室の所にウォーキングマップが置いてあり、近くなので少し回ってみました。
旧佐波小学校跡、明治初期に佐波学校として建てられたましたが、濃尾地震で倒壊しました、その後原三溪らの支援により再建され合併統合で柳津小学校が開校されるまで約 60 年間、佐波小学校として使用されました。

小学校前が生家・青木家屋敷跡、濃尾大震災で被害に合い当時の建物を見ることは出来ません。
佐波八幡神社、創建は鎌倉時代と伝わる神社で、佐波村の氏神様です。

信長公の美濃攻めの際、木下藤吉郎が先勝を祈願したと言われる、濃尾震災により倒壊して原三渓が拝殿を寄進、在郷の暢史や多くの佐波出身者から寄付が寄せられ、諸堂他が完成したそうです。
原三渓は、岐阜の味を忘れませんでした、妻屋寿子も岐阜を訪れ母親の琴から青木家の味を受け継ぎました、岐阜で食したみそ田楽は、原三渓の催す茶会によく出されたとのことです。
岐阜市内の料亭水琴亭を良く訪れ、晩年は実家には帰らず、水琴亭で過ごしたとの事、今でも水琴亭には三渓の描いた襖絵が残っているそうです。

岐阜駅より岐阜バス茜部三田洞線約30分、下佐波停留所下車徒歩2分、または、もえぎの里停留所下車徒歩すぐです。

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