
実際はトンネルではなく国道とJRの高架下なのですが、2つ続いているのでトンネル感はあります。
中山道からトンネルを見ると、なんやら大きな寺院が見えました、歩いて行くと妙應寺と言う寺がありました。

妙應寺(みょうおうじ)は、関ケ原町今須にある岐阜県最古の曹洞宗の寺院で山号は青坂山、江戸時代には伏見宮の祈願所として栄えたそうです。

正平15年(1360)に大徹宗令(だいてつ そうれい・南北朝-室町時代の僧)が当地に立ち寄った際、今須領主であった長江重景(ながや しげかげ)の邸宅に泊まりました、その時に老婆が地獄で呵責されているのを夢に見たため、そのことを長尾重景に話しました。
長尾重景は母の妙応が生前年貢を徴収する際と支払いを行う際に大きさの異なる升を用いて領民たちを苦しめていたという話をし、夢に出てきた老婆が妙応であることが分かりました。

その供養を行って長江重景の帰依を受けた大徹宗令は、勧請開祖に師の峨山韶碩(がさん じょうせき)を迎え、自らは2世住職となって妙応の名を冠した本寺を創建しました。
平成22年(2010)に開創650年大遠忌を勤め、形と心の両面を兼ね備えた禅の古道場として現在に至っています。

門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち五百羅漢が整然と並ぶ姿は壮観です、美濃三十三霊場の第18番札所でもあり、宝物館には史料・寺宝・妙応が使った枡・関ケ原出身の喜田華堂筆の縁起絵巻などが残っているそうです。

徳川家康は関ケ原の戦いに勝利した翌日、疲れを癒すため中山道今須宿本陣伊藤新左衛門宅に立ち寄り、この地が不破郡の居益郷であることを聞き、破れ不(ざ)る郡(ごおり)に、益ます居る郷とは縁起が良い大変めでたい場所である。
今、破れずに居るのも天が味方したに相違がないと大いに喜び伊藤家に褒美を与えました、その時腰掛けた庭の石を天下腰掛石として代々当家で守護してきました。
現在本陣は無くなり、その腰掛石は当寺境内にあります。

関ケ原観光ガイドによると他に面白い伝説も残ってます、上記に創建について書きましたがそれが、地獄谷伝説となっています。
室町時代の初め、旅の高僧が今須の観音堂にて一夜を過ごしていると、夜中に2匹の鬼が現れ老婆を串刺しにして食べていました、翌日高僧はその老婆が領主長江重景の亡き母・妙応であることを知り、重景とともに妙応の供養を行いました。
その夜2人が堂に篭ると、昨夜のように鬼と妙応が現れましたが、妙応は鬼に供物を捧げ許されました、その後重景は妙応寺を建て、この地は地獄谷と呼ばれるようになりました。

この寺の裏山には伝説の巨人・ダダ法師の足跡があります、モッコ(縄を網状に編んだもので、主に土や砂などを入れて運ぶ)で伊吹山と養老山を作り、モッコから落ちた土で南宮山ができたと伝えられ、その時の足跡だといわれています。

名神高速道路関ケ原ICから車で約10分・JR東海道本線 関ケ原駅からタクシーで約10分です。

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