
住所:羽島市竹鼻町2707-1
ジャンル:名所、神社・お寺
正法寺(しょうぼうじ)と聞くと岐阜市金華山近くの岐阜大仏が有るお寺を思います。
前にもレポートを投稿した岐阜市内の3ヶ所、全てしょうぼうじと言います、その他岐阜市にはもう1ヶ所正法寺があります、跡地みたいでしょうほうじかしょうぼうじかは不明です。
羽島にも正法寺がありました、そしてここも、しょうぼうじです。

正法寺、山号は大慈山、天正15年(1587)10月、濃州厚美郡西庄村の立政寺15世恵空智玉が建立したもので、往時は福寿町本郷にあったりました、慶長19年(1614)の洪水で堂宇が流出したため、現地に移転し隋松庵と呼んだそうです。
正徳4年(1714)、第10世俊超上人が大慈山正法寺と改めました、享保4年(1719)および明和9年(1772)に焼失した記録があります。

境内には市の名木百選の老松があり、「臥龍の松」と称されている。
また、近くの小堂に祭られている十一面観音菩薩像は恵心僧都末期の作で、母乳を豊かにするという乳乞い信仰で知られています、他に芭蕉の句碑が立っています。

臥龍の松は、高さより横枝の方が長い黒松です、横枝は15m以上の長さが、樹齢は300年とされています、お堂より立派に見えます。

乳乞い観世音菩薩は、織田信長公が比叡山を焼き討ちにした時、厳命を受けた柴田勝家もこれに加わりましたが、神佛尊信の思い深き勝家の家臣は破却・焼却するに忍びないと、観音様の御尊像一体を正法寺に運び入れたそうです。
この観音様は、信心の女人に母乳を豊かにする霊験あり、と評判になり乳乞い観世音菩薩として1950年代までは参詣者が絶えなかったそうです。

境内には、松尾芭蕉が伊吹山を詠んだ、をりをりに伊吹を見てや冬ごもり、の自然石の句碑があり、この句は芭蕉と親交のあった大垣藩士宮崎荊口(けいこう)の次男千川(せんせん・本名岡田治左衛門)の千川亭を訪ねたときに詠んだといわれています。
冬ごもりをしていても、折にふれ美しい伊吹山の銀嶺を眺めて慰みにできる千川を羨望し、あいさつとして詠んだ句とされています。

正法寺は平成21年から平成23年の再建工事で旧来の面影は一新され近代的な寺院に生まれ変わりました。

名鉄竹鼻駅より南へ徒歩で約9分。

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