
目的はモーニングで行ったのですが、どんなお寺か調べたらびっくりでした、名前忘れてました。
一乗寺(いちじょうじ)は、羽島市小熊町にある臨済宗妙心寺派の寺院で山号は小熊山です。

以前のレポートで、岐阜城の守護四仏(②慈恩寺地蔵菩薩)で信長公が岐阜城を護るために地蔵を持ってきたお寺だったのです。

古代に尾張国洲又の渡しと川湊と街道が整備されました、その地に真言宗の寺院として弘仁10年(819年)に弘法大師(空海)によって地蔵菩薩を中心に建立されたと伝わってます。 |
橋杭を用いて自ら地蔵を彫ったとされ、小熊地蔵として尊崇されるようになったそうです。 |

時代は下り、源頼朝の上洛時の行き帰りには休憩所となるなど源氏家の庇護を受けたそうです。

源平合戦(1181年)の後、人の泣き叫ぶ声や太刀打ちの音などが聞こえたといわれ、地蔵尊を祀り供養したら、その後は止んだそうです。
この寺の境内には、たくさんの五輪石が一か所に集めて祀られています。

永禄11年(1568年)に織田信長公が小熊地蔵を岐阜に移しました、暫くして地蔵が小熊に戻りたいと信長の夢枕に出てきました、信長は地蔵を移した場所を小熊と改名しました。

戦国時代の騒乱には織田信長公や豊臣秀吉の陣が置かれましたが、秀吉没後は荒廃し荒地になりました。
江戸時代以降は月空和尚の尽力で江西和尚を迎えて臨済宗として再興されたそうです、寺門が橘で彦根の大老の井伊家が関係していたようです。

本尊は「南無阿弥陀佛」の阿弥陀如来尊ですが、今も地蔵尊が中心になっています、現在の地蔵堂に納められている地蔵像は慈覚大師の作で、尾張から江西禅師が移したものであるそうです。
また、秋には、山門前の銀杏並木が哀愁に浸る景観として親しまれています。

羽島市立小熊小学校の西です、車で行かれるのが便利だと思います。


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