
美濃金山(かねやま)城跡は、斎藤道三公の命を受けた斎藤正義が天文6年(1537)築城し鳥峰城と名付けたのが始まりと言われてます。
その後織田信長公が美濃国を領地としたことにともない、永禄8年(1565)に家臣の森可成(よしなり)が城主となり金山(兼山)城と改称しました。

森可成は本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した森蘭丸の父である。
慶長5年(1600)に森氏が川中島藩に転封されると城は石川貞清の所有となり、建物は解体され石川氏の居城である犬山城の改修に使われたという。

美濃金山城は、近隣の城や北を流れる木曽川、兼山の街を見渡せる場所に築造されていました。
石垣・瓦・建物礎石が残る織豊系城郭のモデルケースとして、平成25年に国の史跡に指定されました。

駐車場から登ると三の丸跡に入ります、右手方向に二の丸跡、さらに登ると本丸跡に出ます。

城を故意に壊して再び城が造られないようにすることを破城と言います、ここには破城の痕跡が多く残っています。

礎石も残っており、建物の形状が分かり渡り廊下のある建物があった所などあります。
本丸、天守があったと想定されます、本丸を囲む斜面には石垣が見られ、南側には虎口があります、多くの礎石から御殿のような大きな建物があったと思われます。

美濃金山城は別名、兼山城、鳥峰城、鳥ヶ峰城と言われています。

名鉄広見線明智駅からYAOバスで 元兼山町役場前バス停下車、徒歩15分位です、車で上の駐車場まで行けます。


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