啓運山法華寺
啓運山法華寺は大光山本圀寺の末寺であり、16世紀中頃までは現在の愛知県清洲市にありました。
信長公の7代くらい前の織田常勝が祈願所として創建しました。
法華寺は織田信長公が岐阜に居城を移した際に、後に尾張や美濃の日蓮宗の触頭(ふれがしら)となる日陽が信長公の崇拝を受けて清州から永禄 10(1567)年以降に移転し建立した とされる信長公とゆかりのある日蓮宗の寺院であります。
その時に移転した場所は、斎藤道三公の家臣で西美濃三人衆の一人とされる氏家直元(卜全)の屋敷跡と言われています。
山科言継(やましなときつぐ)戦国時代の公家、言継は1ヶ月以上に及ぶ岐阜滞在期間中に、この法華寺や善光寺など岐阜城下町を訪れてます。
言継が残した書物に3度岐阜を訪れ城下町の賑わいが書かれています。
そして、この寺はハワイととても関係の深い日蓮宗のお寺です。
ハワイの日本仏教は、1889年に大分の曜日蒼龍という浄土真宗本願寺派(ハワイでは本派本願寺)の住職がホノルルに渡った時から始まります。
しかしこの蒼龍の滞在は、本山から正式に遣わされたわけでは無く、わずか半年で終わりました。
その後、1894年に浄土宗がハワイ島のハマクアで正式な布教を始めます。
砂糖産業が最盛期の当時は、ハワイ全体で220ほどの日系人のキャンプがありました、その中の80のキャンプに仏教寺院が建てられていたと言われています。
日蓮宗は1899年高木行運聖人(たかぎぎょううんしょうにん)がハワイに渡り、一年をかけて布教の地を探し求め1900年にハワイ島の日系人キャンプで布教を始めました。
1902年にお寺を創建し、10年後には日系人の多い町であるヒロを中心として布教を続けました。
行運聖人は岐阜の法華寺の家系で、どういった経緯で行運聖人が派遣されたのかは資料が残って無いそうです。
寺院は日本移民にとって遠い祖国を偲ぶ場であり、憩いの場であり、そして教育の場であったことでしょう。

信長公の時代から歴史のあるこの寺ですが、最近では桜の名所としても人気があります。
写真のように山門から本堂まで桜の木があります、通路の上に桜の木から枝が張り出していて、桜の花の散り際には桜の花の絨毯がっできます。
満開の桜も、もちろん良いですが、桜の絨毯も素晴らしいです。
入口の山門ですが、その山門か少し北にある門かはっきりしていませんが、岐阜城の裏門にあった門の移築門と言われています。
岐阜バス、岐阜駅より長良橋方面行、伊奈波通り下車北へ5分程度です。

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