金華・鶯谷・梅林の名所の店舗情報58件を掲載中。
口コミから金華・鶯谷・梅林で人気の名所や、あなたにピッタリの名所をきっと見つけられます!
3.54 | 口コミ件数 | 6件 |
めい想の小径より分岐し金華山へ登る最短のコース、(約1100m40分)健脚向き。 木の根っこが表れている所や、急な岩場があったりする所で、案内板には老人・幼児には無理ですと書いてあります。 でも、80才くらいの人が登っているのを見たことがあります。(ベテランですが) 雨や雪の日には特に下りには注意しましょう。 岐阜城手前の通路にでます。
4.05 | 口コミ件数 | 5件 |
定休日 | 【開催期間】5月11日~10月15日 |
---|
秋の鵜飼です。十五夜とコルクの気まぐれのNZワインとおつまみ、持ち込みの長濱の飛騨牛サンドイッチ、ビーナス&マーズのキッシュと美濃けんとんハムで大満足。乗船の岐阜丸はトイレ付きベンチ席もあり快適でした。船頭さんも超ベテランで十五夜御月様眺めながら安心安全な船上ワインパーティでした。
3.88 | 口コミ件数 | 4件 |
健脚向けの金華山登山道、ロープウェー山頂駅の横にでます。(約1100m約40分) 登り口は少し分かりにくいかもしれません、はじめは「こんなとこ」と思うかもしれませんが、少し行くとスロープがコンクリートで固めてあったり、階段が整備されている所があります、そこを過ぎると他の登山道と同じ自然の登山道です。 私としてはこのコースが一番登りやすく思ってます、(メタボな体で私より年輩の方に抜かれますが)めい想や七曲がりより注意を図る所がありますが、お薦めです。
3.88 | 口コミ件数 | 4件 |
よく登ってます。 北側なので 暑い日も わりに楽に行けます。 馬の背への分岐点に烏帽子岩があります。 途中ほうのきがありたくさん、ほうばが落ちていたり、水が流れるところもあり、手を濡らして休憩も楽しいです。 距離的には 長めですが、途中ビューポイントがあり 北側の景色を見ることができます。
3.75 | 口コミ件数 | 4件 |
善光寺は伊奈波神社に来た際に寄りますが、善光寺まるけに初めて行ってきました。 服飾やお菓子、軽食、青果などを扱うお店が出店していて見ていてとても楽しかったです。 前住職さんがお亡くなりになられてしまいましたが、善光寺まるけを始めたりおんぱくにも参加されたり、と開かれたお寺と行った雰囲気です。
3.92 | 口コミ件数 | 3件 |
瑞龍寺は、金華山の南に粕森公園と梅林公園の間にあります。 参道をはさんで白塀に囲まれた塔頭六ヶ寺があり、一番奥にある雲水の修行道場であります。 土岐氏の守護代斉藤利藤(斎藤妙椿、岐阜城主にもなった)が、1468年(応仁2年)に美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立して悟渓宗頓国師を迎えて開山しました。 斎藤道三公・織田信長公が歴史に登場する前に建てられてその時代の重要なお寺です。 梅林公園の梅まつりの時期に、無料開放がありますので本堂にはいることが出来ます。
3.75 | 口コミ件数 | 3件 |
金華山登山道です。 岩戸公園、金華山ドライブウェイよりのコースです(約1100m約25分)と案内には記載されてます。(もっとかかったような) 岩戸公園に車を止めることが出来るため、名古屋など市外からみえる方も結構あり、登山者の多いコースです。 ハイキングコースと名前はなっていますが、やはり登山道ですので岩場などあり(危険)と立て札があります、でも岩場から見る岐阜城・東側の山並みは絶景です。 途中、達目ハイキングコース・唐釜ハイキングコースなどの分岐があります。 自然が満喫できるコースです。
4 | 口コミ件数 | 1件 |
近代彫刻の巨匠ロダンのモデルになったただ一人の日本人女性、花子(太田ひさ)が眠るお寺です。 ヨーロッパより戻り、晩年24年間をここ岐阜市にて生活を送ってその生涯の幕を閉じました。 その花子の墓がこのお寺にあります。 平成16年には、花子の永眠の地として碑が建てられました。 岐阜は小さな街ですが、有名人の足跡があちこちにあって面白いですね。
4 | 口コミ件数 | 1件 |
戦国時代に武家屋敷があったところ。 信長に使えていた武将の家紋と花押が、石柱に描かれています、ただしそこが居住跡とは違います。 岐阜城の城下で金華山を見るのによいロケーションの場所です。 近くに鋸型の家並みもあり、お寺を廻るときに通るとよいでしょう。 当時の道造りは地形にも寄りますが、碁盤の目のように真っ直ぐにしますが、この道は曲線です。 なぜ?かを考えて歩くのも面白いです。
3.75 | 口コミ件数 | 1件 |
岐阜市指定史跡です。 織田信長公が岐阜にて楽市楽座を開いたときの、市神とされた木です。 道路改修工事の為に今のところに移植されたのですが、現在の木も3代目だそうです。 この木の基、商工業者を保護して街の活性化を図ったんですね。 岐阜市には信長公の足跡がいろいろあります、その中のひとつです。 街の中にあり、訪れやすいところにあります。 橿森神社の前ですので、すぐに分かります。
3.5 | 口コミ件数 | 1件 |
斎藤道三公の娘で、織田信長公の正室である帰蝶の墓です。 墓と言っても、本能寺の変の折、織田信長公と共に討死にされたお濃の方遺髪を持ってこの地まで逃れて来た者が埋葬した墓と伝えられてます。 昭和20年の空襲により岐阜市の大半が灰となり墓石も焼失しました、昭和50年にお濃の墓の碑文がみつかり、氏子有志皆様の御協力を得て再建いたしましたお墓であります。 と案内に書かれてあります。 本願寺西別院の東、西野不動尊のすぐ側です。
お出かけ先でも使えて便利!モバイル版 『レッツぎふ』